FAbULOUS 中村健一さん その2
このページでは、創成東で面白いコトをおこす「ひと」を紹介していきます。
前回に引き続き、複合店舗「FAbULOUS(ファビュラス)」をひらいている中村健一さんのインタビューです。
家具&雑貨ショップのサービスとしてひらいたカフェスペースが、ブロガーの記事で取り上げられたことをきっかけに盛り上がります。開店以来、中村さんが描いている「古き良きアメリカ」のイメージをつくった、若かりし頃のきっかけをお話ししてくれました。
きき手:山本忠(さっぽろ下町づくり運営スタッフ)
山本:アメリカ文化に触れたきっかけは?
中村:10歳以上歳の離れている兄です。兄と兄の友達から受けた影響が大きいです。映画・音楽・ファッション。同世代の人に比べたら、確実にませていたと思います。はじめてのアメリカは、高校2年生の時に行ったハワイです。たしか湾岸戦争の時。兄とその仲間と一緒に行って、何がアメリカなんだか訳が分からないまま帰ってきました。ドル札や標識など日本とデザインやディティールの違うものがあったかなぁ程度でした。で、リベンジをしたくて高校3年の時にまた兄達と再度ハワイへ。その時は気合入っていますから、バイトで貯めた120万を2週間で全部使ってきました。
山本:120万‼高校生が何に使ったの?
中村:覚えていないです(笑)。アメリカで金使ってやった!って、充実感の方が大きくて。あ、ウエスタンブーツ買い漁ったかも。
山本:スゴイ高校生(笑)。貯めた金額もスゴイけど使ったのもスゴイ。たまに見られる破天荒さはそのころからあるものなのかな?
中村:その時は満足感ありましたけど、ハワイでしたから。やっぱり大陸に行きゃなきゃと思うようになり、お金を貯めだします。高校生当時からファションが好きで、特にウエスタン系が好きで。西18丁目にあったデュークというお店を手伝っていましたし、本場に行きゃなきゃ!大陸に行かなきゃ!そう強く思っていましたね、根拠のない使命感に近い(笑)。
山本:若さの素晴らしさ(笑)。アメリカに住みだしたのはいつぐらいですか?
中村:20歳です。それまでは市場(本間水産さん)やサッポロファクトリー等で働きお金をコツコツ貯めていました。
山本:ファクトリーで働いていたんですね、その時の仕事内容は?
中村:オープン当初からサッポロビールの飲食部門で、ビールマイスターをやっていました。
山本:意外!飲食のイメージはなかった。当時のサッポロファクトリーは斬新だった。
中村:ドアノブや手すりに、ビール工場で使っていた工業用品なんか使ってカッコ良かった。
山本:そのころから東側に縁があったんですね。そして、お金が溜まり、念願のアメリカ大陸へと
中村:そのころ、アメリカに留学したことがある友人が出来まして。彼がまたアメリカに行くという話を聞き、彼を追って大陸へ旅立ちます。アルハンブラといって、ロスから数キロ離れた場所です。その場所の最初の印象は、中華街、チャイニーズタウン。レストランが中華しかない(笑)
山本:アメリカに憧れ、たどり着いたところが中華街。これはオレの求めていたアメリカじゃない?(笑)
中村:まったく違う(笑)。 ただ、当てもないので友人の家にルームシェアして住むことにして、とりあえず英会話学校(大学に行く前の準備学校みたいなもの)に通います。
映画で見た、辞書束ねて肩に引っ掛け…なんてキャンパスライフを想像していたのですが、現実はまったく違って。学校も英語圏の人ではなくアジア系ばかり。イメージしていたアメリカではなかった。
山本:それもアメリカの一部って言えば一部なのかな~。
中村:そうですね。それもアメリカ、ボクが知らなかったアメリカです。
山本:学校にはアメリカに憧れてギラギラしている人が多かったんじゃない?
中村:そうでもないんです。極端でしたね、金持ちの道楽というか暇つぶしに来ている人と、なんかやってやろうって人と、その国にいられなくなった人。金持ちの割合は多かったかな、そういう人たちはすでに車もっていましたから。ボクは、さびれたチャリンコです。
日本から200万持って旅立ったんですが、収入が無かったので、みるみるお金が減っていくのが怖くなっていた時期でした。仕事しようにもまだ満足に会話できないですし、怖かった。ルームシェアしていた友達も、お金に余裕があるタイプだったので、向こうは全て外食、こっちはパンかじる毎日。
金持ちに対するやっかみも増して荒んでいきましたから、シェアをやめて格安の掘立小屋を見つけて引っ越しました。
山本:憧れのアメリカは厳しかった
中村;はい。その時期に、学校で英語に慣れる為、歩いている人に道を尋ねて目的地に行くという授業がありまして、訳もわからずカフェでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる男に声をかけたんです。拙い英語で会話をしていると、その男が「お前は何をやってるんだ?」と質問してきて。今考えても何故だかよくわからないんですが、その時の覚えたてのフレーズで「仕事を探しているんだ」と口走ったんですね(笑)。
山本:よっぽどお金が欲しかったんだね(笑)。
中村:たぶん(笑)。 そうするとその男が「ウチで働け」と。ボクからしたら、道端で出会った男に「困ってるなら、ウチで働け」って言われても、仕事内容も解らないので相当不安だった。でも、お金が欲しかったのもあり、勇気を振り絞りその男の家へ行きました。ビクビクして現場に行ったのですが、仕事はその男が買った家の修理を手伝う事でした。それがアメリカでの初給料です、20ドル、2,500円。しかも小切手でした。
金額ではなく、憧れていたアメリカに近づけた気がして腹の底からうれしかった。その小切手に屋根を塗った青いペンキが少し付いていました。いまだに目に焼き付いています。
山本:リアル北の国からだね(笑)。 ジュンと古尾谷雅人そのまんま!
中村&山本:(大爆笑)
―理想とは違ったアメリカでの滞在経験。それでもアメリカを慕う中村さんは、どんな想いをFAbULOUSに込めていったのでしょうか。続きのお話は、また次回に!
(つづく)
取材協力:FAbULOUS
http://www.rounduptrading.com/
企画・構成:山本忠/(株)ピントハウス 近藤洋介/(株)ノーザンクロス
編集:行天フキコ/(株)ノーザンクロス